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大阪地方裁判所 昭和55年(行ウ)14号 判決 1981年2月26日

原告

中網時一

被告

郵政大臣 山内一郎

右訴訟代理人弁護士

中筋一朗

益田哲生

右指定代理人訟務部付検事

小林敬

右指定代理人訟務専門官

西村省三

右指定代理人郵政事務官

吉田一司

(ほか六名)

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和五四年九月一一日付でなした免職処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和五四年九月一一日当時、東灘郵便局第三集配課主任として勤務していたが、被告は同日付で原告を免職処分に付した。

2  原告は、昭和五四年一〇月二九日、人事院に対し右処分について審査請求の申立をしたが、未だその裁決がなされていない。

3  原告は、後記公務災害による傷害の治療のためマイクロトロンの照射やレントゲン撮影を受けたことにより、軽微な作業しかできない体であるのに、被告は、原告からの配置転換の要求も考慮することなく、原告を健康体の者と同じ基準で免職処分としたものであって、右処分は違法かつ不当なものであるから、これは取消されるべきものである。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1及び2の事実は認める。

2  同3は争う。

三  被告の主張

1  原告の経歴

原告は、昭和三六年八月一〇日臨時補充員を命ぜられて御影郵便局(昭和三九年四月二〇日局名改称により東灘郵便局となる。)郵便課(外務)勤務となり、昭和三七年六月三〇日事務員を命ぜられ、昭和三八年七月一〇日郵便局組織規程改正により同局集配課勤務となり、昭和四一年一〇月一日郵政事務官に任命され、昭和四七年三月一日同課主任(昭和四九年七月一七日郵便局組織規程改正により第三集配課主任となる。)を命ぜられ、昭和五四年九月一一日本件免職処分に付されるまで右同局に勤務していた。

なお、原告は、昭和四五年八月一日、勤務指定表を破棄したうえ、担務指定名札を勝手に掛けかえたため、同年一〇月二日訓告処分に付され、また、同年一二月一四日、上司の承認を得ないでみだりに欠勤したため、昭和四六年二月二〇日懲戒(戒告)処分に付された。

2  本件免職処分に至った経緯

(一) 原告は、昭和四九年七月一五日、自己の担当する郵便外務事務に従事し自動二輪車を運転中、神戸市東灘区甲南町二丁目八番八号地先道路上において、普通貨物自動車に追突され、当時の見込みでは加療約一ないし二週間を要する頸部、腰部打撲捻挫傷の傷害を負うとともに、修理費金三〇五円を要する自動二輪車の破損を被った。

なお、原告は、同年八月一四日、右災害について国家公務員災害補償法(以下補償法と略称する。)による公務上の災害としての認定を受けた。

(二) 原告は、前記傷害により、昭和四九年七月一六日から補償法による治ゆの認定がなされた昭和五四年六月一二日までの約四年一一カ月間にわたり、軽作業に従事後通院加療、あるいは休業加療を繰返していたが、その概況は次のとおりである。

(1) 昭和四九年七月一六日から同月二五日まで

治療のため休業(週休日及び年度当初に付与予定が決定している年次有給休暇日等勤務を要しない日を除く。以下同じ。)

(2) 昭和四九年七月二六日から同年八月一三日まで軽作業に従事後、通院のため休業。

(3) 昭和四九年八月一四日から昭和五〇年四月二〇日まで

治療のため休業。

(4) 昭和五〇年四月二一日から昭和五二年二月二五日まで

軽作業に従事後、通院のため休業。

(5) 昭和五二年二月二六日から昭和五三年五月三一日まで

治療のため休業。

(6) 原告の治療に当っていた赤松外科・整形外科・眼科医院(神戸市東灘区田中町三丁目八番一五号所在。)の赤松秀夫医師(以下赤松医師と略称する。)は、原告が治療のため休業中であった昭和五三年五月、他の医師の意見を聴取するため、大阪医科大学附属病院、大阪大学医学部附属病院、関西労災病院等に原告を対診させたところ、いずれも、「特に異常なし」、「特別な治療はない」、「社会復帰可能」等の意見であった。

(7) 赤松医師は、昭和五三年五月三〇日、前記医院において、東灘郵便局庶務会計課課長代理本田晴之(以下本田課長代理と略称する。)と原告とを交えて面談し、「私としては、他の病院の所見も聞き判断したいと思い各医院の先生の意見書を取りましたが、総体的に言って、これ以上治療の必要はないとの意見であり、私としても症状固定にしたいと思います。」との説明をし、原告も右説明を了解した。

東灘郵便局は、右説明に基づき、補償法による治ゆ認定の手続を進めようとしていたところ、赤松医師は、翌三一日、本田課長代理に対し、「中網さんがいろいろ病状を訴えているので、なお一か月間通院治療にしたい。」旨連絡してきた。原告は、同年六月一日、赤松医師が同日付で発行した「通院加療を要するが、頸部、腰部並びに視力を愛護し、軽作業に従事することは差支えない。」旨の診断書を持って右同局に出勤した。

東灘郵便局次長喜多正は、同日、次長室において、原告に対し「今回軽作業可能との診断書が出たが、あなた自身ができると思う仕事を聞かせて下さい。例えば区分済郵便物を抜き出し、各区道順組立台に置く仕事ができるとか。」と尋ねたところ、原告は「重さによる。視力が弱く目がぼやけて、混雑しているところへ抜きに行ってトラブルが起ると困る。」と答え、同次長が「そんな心配はいらない、こちらから課員に十分指導する。」と言うと、原告は「大股で歩いたら腰が痛いし階段もえらい。」などと応答し、同次長が「あわてることはないし、一〇メートルぐらいのところだし、階段はないよ。では区分はどうか。」と尋ねたところ、原告は「目が疲れる、ぼやけて名前や住所が読みとれるか疑問がある、やってみなわからん。」などと答え、更に同次長が「道順組立は」と尋ねたのに対し、原告は「疲れやすいのと、ぼやける、テレビでも好きな番組見てない、第一仕事を趣味と思っていない、給料をもらうためにしているだけや。」と答え、同次長が転居簿等配達資料の整備の作業をすすめたのに対しても、原告は「字を書くことはできるが間違う。何回も検査しなあかん。」などと答えたので、同次長が「自分で、集配の仕事のこれならやれるものを言ってみなさい。」と尋ねたところ、原告は「自信ない。やってないからちょっとわからん。」と答え、また原告は「電話の番、守衛か受付けぐらいならできる。」と言うので、同次長が「守衛でも、日誌を書いたり局内巡視を何度もしなあかんのだよ。」と話したところ、原告は「病院へ行っている時、歳いった人でも守衛しているから自分でもできると思ってたんや。」などと答えた。

そこで東灘郵便局は、原告の右応答等をも斟酌して、原告に対し、同日から年次有給休暇請求簿及び転出入者の帳簿の整理等机上事務などの軽作業を命じ、その作業後における通院治療のための休業を認めたが、原告は仕事に対する積極的な意欲を示さず、「目が疲れる。」「頭や腰も痛む。」などと言って休憩を申し出ることが多く、また上司から「作業ができないのならできないで、医者に話したらどうか。」などと指導されても、「そんなん課長が医者に言うたらいいんや。」などと申し向けるなど反抗的態度を示し、上司の指導に従わないことが多く、そのような状態は、同年七月四日まで続いた。

(8) その後、原告は、昭和五三年七月五日から同年九月五日までの間、近藤病院(神戸市北区有野町有野二三七八番地所在)に入院した。これは、原告が同年六月二日同病院において検査を受けたことに伴い、本田課長代理が同月九日同病院近藤直院長(以下近藤医師と略称する。)と面談した際、近藤医師から「当院には整った設備がある、ダラダラ通院ではなく、二カ月入院させてけじめをつけたらどうか。」との所見が述べられ、東灘郵便局も、原告にとってリハビリテーションを中心に加療するのが適当と判断し、原告もまた同病院への入院を同意したためである。

(9) 原告は、昭和五三年九月五日、右近藤病院を退院したが、その際、東灘郵便局庶務会計課課長代理能塒光男(本田課長代理の後任。以下能塒課長代理と略称する。)は、原告とともに近藤医師と面談したところ、同医師から「赤松医師から過去の状況を聞き、他の病院では受けられない程の検査をした。したがって、他の病院で治療等を受けられても意味はないと思う。症状は固定している。」との説明を受けた。それに対し原告は「症状固定とされたら心外である。五年間労災があるんやから、五年間いっぱい治療したい。」と申し向けたが、近藤医師は「当院で検査した中では症状は固定していると思う。部内の病院で意見を聞くのがよい。仕事のできる職種をさせること。」などとの所見を述べた。

(10) 近藤医師は、昭和五三年九月一二日、原告について、右説明内容と同趣旨である「症状固定として後遺症を認定すべく処置が適当である。」旨の意見書を発行し、東灘郵便局は、同月一四日、原告に対し、庶務会計課長名義の文書により「近藤病院の意見書が発行されましたので一度お会いしたいので出局願いたい。」旨通知した。

(11) 原告は、昭和五三年九月一九日、神戸逓信病院整形外科においてレントゲン撮影と診察とを受けたが、右診察結果も「他覚的には特に異常がない、自覚症状のみである。」「症状は固定している。」とのことであった。

(12) 原告は、昭和五三年九月二〇日以降、東灘郵便局に何の連絡もしないまま出勤しなかったので、同局は、同年一〇月二日及び九日、庶務会計課長あるいは同局局長名義の文書により繰返し「出勤願いたい。」旨通知したが、原告は出勤しなかった。

(13) 能塒課長代理は、昭和五三年一〇月一七日、原告が俸給を受領するため来局した際、原告に対し治ゆ認定について説明するため「話があるので待ってもらいたい。」旨指示したが、原告は「何も話を聞くことはない、話があるなら文書で送付すればよい。」などと言ってこれを拒否して退局した。

(14) そこで東灘郵便局は、翌一八日、原告に対し、同局局長名義の出勤命令書を発して出勤を命じたが、原告は何の連絡もしないまま出勤しなかった。

(15) 能塒課長代理は、昭和五三年一一月一七日、原告が俸給を受領するため来局した際、原告に対し、話がしたいので次長室へ入ってほしい旨伝えたが、原告は「なにも聞くことはない。」「俺は給料をもらいに来ただけや。」「給料をくれへんのか。」「話があるのなら、次長でも局長でも家に来たらよい。」などと言ってこれを拒否して退局し、その後も出勤しなかった。

(16) 能塒課長代理は、昭和五三年一二月五日、原告が出局した際、原告に対し、話がある旨伝えたが、原告は「何も聞くことはない。」「年末手当をもらいに来たが、出てないので云々」などと言ってこれを拒否して退局し、その後も出勤しなかった。

(17) 近畿郵政局人事部共済課郵政事務官秋田喨一)以下秋田事務官と略称する。)及び能塒課長代理は、昭和五四年二月一四日、補償打切りなどについて説明するために原告宅に赴き、原告に対し、補償法上の治ゆについて説明した。その際、能塒課長代理が原告に対し「今まで給料等を取りに来たとき、話があるからと言ったのになぜ応じなかったか。」などと質したところ、原告は「局では、管理職ばかりで話ができない。」などと答え、能塒課長代理が「職種変更の問題にしても、話し合いのうえでのことである。」などと話したのに対し、原告は「書面で条件を出してもらって、そのうえで考えていく。そこで、無理してでもやる場合もあるし、身体を無理してまで応じられない場合もある。」などと答えた。

(18) 東灘郵便局庶務会計課課長高木光徳(以下高木課長と略称する。)は、昭和五四年四月一七日、原告が俸給を受領するため来局した際、原告に対し「近藤病院の意見書では、症状固定で仕事ができると言っているのではないか。」「体が悪いなら悪いで診断書を出してもらいたい。」旨申し向けたが、原告は「そういうことは文書で送ってほしい。」などと答え、その他の話し合いを拒否して退局し、その後も勤務しなかった。

(19) 東灘郵便局は、昭和五四年四月一九日、原告に対し「休業加療を要する場合は継続であっても医師の診断書が必要であるから提出し、所定の手続を行なわれたい。」旨の同局同長名義の文書を発送したが、原告は、これに対して何らの返信もせず、また診断書の提出等所定の手続きもとらず、その後も勤務しなかった。

(20) 秋田事務官及び高木課長は、昭和五四年六月四日、治ゆ認定事務処理のため近藤病院に赴き、近藤医師に対し事情聴取を行なったところ、同医師は「昭和五三年九月一二日付の意見書のとおり、二か月間リハビリテーションを中心に加療したけれども、初診時とは変っていない。検査については、脳波、眼底カメラ、心電図、聴力検査、筋電図、X線等について行なったが、初診時、入院時ともに異常は認められない。入院中は、薬物治療のほか、理学療法として、マッサージ、サウナ、バイブロバス(気泡入浴)、ホットパック、カイネタイザー(超音波治療)などを行なった。この者の症状は、仕事につけば良くなるものである。ただし、長期間療養していたため、軽作業から始めること。」などとの所見を述べた。

(21) 近畿郵政局長は、昭和五四年六月一二日、原告の本件公務災害については症状が固定し、出勤が可能な状態であると認められたので、治ゆの認定をし、東灘郵便局長にその旨を通知した。

(22) 東灘郵便局局長は、昭和五四年六月一三日、原告に対し、治ゆ認定通知書を送付するとともに、文書により出勤を命じ、出勤しない場合は欠勤として処理する旨通知したところ、同文書は、翌日原告に送達された。(なお、原告は、昭和五三年九月五日、近藤病院を退院した以降、同局管理者の指導に従わず、病気休暇の申請、診断書の提出等所定の手続をとることなく勤務を欠いていたものであり、これは服務規律上甚だ不都合なことではあったが、東灘郵便局としては、事故の原因、治療の経緯及び原告の愁訴等を勘案し、近畿郵政局長によって治ゆ認定されるまでの間は、原告の不利益とならないよう特別の配慮をして、公傷扱いとして処理していた。)

しかしながら、原告は、昭和五四年六月一五日以降も無届で勤務を欠いたので、東灘郵便局は、同月一八日から二一日にわたり連日、同局局長名義の出勤命令を発したにもかかわらず、原告はなおも何の連絡もしないまま勤務を欠いた。

(23) 昭和五四年六月二〇日、原告から東灘郵便局に「首が重苦しい、頭が痛い。」などとの記載のある内容証明郵便が送付されたので、同局局長は、同月二六日、原告に対し再度文書により「公務災害については、治ゆ認定がなされているのであるから出勤すること。」「なおも休業療養しなければならない状態であれば医師の診断書を提出する等、所定の手続をとること。」を命令したが、原告は、これを無視し、何ら所定の手続をとることなく勤務を欠き続けた。

そこで、同局庶務会計課長は、同年七月一四日、再度原告に対し、右同旨の文書を送付したが、原告は、これにも従わなかった。

(24) 昭和五四年七月二〇日、原告から東灘郵便局に「前回の内容証明で言っている体の状態であり、体がいうことをきかない。」などとの記載のある内容証明郵便が送付されたので、高木課長及び能塒課長代理は、同月二七日、原告宅に赴き、原告に対し「出勤できない状態なら診断書を提出して所定の病気休暇の申請手続を行なうよう。」指示したが、原告はこれに応ぜず、出勤も病気休暇の申請もしないとの態度であったので、高木課長及び能塒課長代理は、原告に対し、このままの状態を続ければ免職処分になる旨警告し、翻意を促した。

(25) 原告は、その後も同様の状態で欠勤を続けたので、高木課長、能塒課長代理及び東灘郵便局第三集配課長木村定義らは、再度原告宅に赴き、原告に対し「出勤できない状態であれば所定の手続を行なわれたい。」旨繰返し指示したが、原告は「仕事のできる状態でない。」旨主張するのみで、右指示に全く応じようとしなかったため、高木課長らは、原告に対し、このまま欠勤を続けていれば原告にとって身分上大変不利益な結果となる旨強く警告した。

(26) 原告は、その後も所定の手続を行なわず、勤務を欠いたので、東灘郵便局は、原告を前記治ゆ認定後の昭和五四年六月一五日以降欠勤したものとして処理するとともに、被告は、昭和五四年九月一一日国家公務員法(以下国公法と略称する。)七八条三号、人事院規則一一―四により、原告を免職処分に付した。

なお、原告は、本件免職処分後、同年八月二日付近藤病院発行の「医師の証明」を東灘郵便局に提出したが、同書面には「昭和五四年六月一二日治ゆ、症状固定、頸部一四級、腰部一四級(各局所の神経症状)」と記載されており、これは補償法上の障害の等級としては最も軽度のものである。

3  本件免職処分の適法性

(一) 郵政職員は、国公法上の一般職に属する国家公務員であるところ、国家公務員については服務の根本規準として「すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当っては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。」(国公法九六条一項)と定められている。これは、公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的としたものであるが(国公法一条一項)、同法は、このような勤務関係の特殊性から、同法第七節において種々の職務上の義務ないし行為の禁止、制限規定を設けている。すなわち、法令及び上司の命令に従う義務(国公法九八条一項)、職務に専念する義務(国公法一〇一条)に代表される各種の服務義務条項である。

(二) 原告に対する本件免職処分に至った経緯は前記2のとおりである。

すなわち、原告は、昭和五四年六月一四日、補償法に基づく公務上の災害の治ゆ認定の通知を受け、同時に東灘郵便局局長から出勤命令を受けたのであるから、同日以降同局に出勤して就労すべき職務上の義務があるにもかかわらず、翌一五日以降も勤務を欠き、かつ、上司である同局局長らから再三「出勤しなさい。」「休業療養しなければならない状態であれば、医師の診断書を添付した病気休暇申請書を提出し、正規の手続を行なわれたい。」旨の命令を受けていたにもかかわらず、これに従わず、昭和五四年六月一五日以降本件免職処分に付されるまで八九日間の長期にわたり、みだりに勤務を欠いた。

東灘郵便局局長は、原告の前記傷害が公務上の災害に起因するものであるところから、原告の愁訴をできるだけ斟酌して、長期間にわたり休業扱いとしてきたが、原告は、医師の診断に基づき実施機関において治ゆ認定がなされた後も、依然として所定の手続をとることもなく、勤務に就く努力もしなかった。

以上の事実に徴すれば、原告が、国家公務員としての必要な適格性を欠くものとあることは明らかである。

そこで、被告は、原告を前記免職処分に付したものであって、同処分は適法かつ正当なものである。

四  被告の主張に対する原告の認否及び主張

1  被告の主張1の事実中、前段は認めるが、その余は不知。なお、原告は、昭和三五年一二月末日から東灘郵便局においてアルバイトとして勤務し、昭和三六年一月一九日ころ正式に採用され、昭和四七年三月一日集配課主任代務となったが手当がなかった。また、原告は、昭和四五年八月一日勤務指定表を破棄したうえ担務指定名札を勝手にかけかえたが、これは、勤務指定表及び担務指定の不均衡が原因であり、昭和四五年一二月一四日上司の承認を得ないでみたりに勤務を欠いたのは、ストライキに参加をしたもので正当な争議行為である。

2  同2の(一)の事実は認める。なお、自動二輪車の損害が少なかったのは、速度及び車間距離の関係と、自動二輪車の後部に集配用の箱が積んであったため、転倒せず、被害を原告自身の体で受けたからである。

同(二)の冒頭及び(1)の事実は認める。

同(二)の(2)の事実は認める。なお、全部屋内作業であったため目が疲れてちかちかし、立ったり座ったりの作業で無理が生じ、どうしても耐えられなくなり、休業せざるを得なかった。

同(二)の(3)の事実は認める。

同(二)の(4)の事実は認める。なお、当時の課長が休業の診断書を提出したのでは配置転換できないと言ったので、配置転換の要求を容れてもらうため、軽作業が可能である旨診断書を提出して出勤した。そこで、出勤簿の整理の作業を与えられたが、遅刻者から反感をもたれて「お前、管理者か。」とどなられトラブルになりそうになったので、右作業を断ると、何も仕事を与えられず、いすに座らせられたままにされた。そのような状態で約二年近く経過したが、その間、集配の仕事は目や体を使う仕事が多いので、守衛または受付の仕事をさせるよう要求したが、何の音沙汰もなく、体調が更に悪化したので、治療のため休業した。また、昭和五一年二月二〇日、頭痛、不眠、物忘れの症状があり、電車を乗りすごすことや、一日に三、四時間新聞、テレビを見ると気分が悪くなったりすることがあったので、岩本神経科へ通院した。

同(二)の(5)の事実は認める。

同(二)の(6)の事実は認める。なお、原告が赤松医師にマイクロトロンの害を受けたことを告げると、同医師は対診を勧め、原告はやむを得ず大阪医科大学附属病院、大阪大学医学部附属病院、関西労災病院、大阪逓信病院の対診を受けたが、原告がマイクロトロンやレントゲンの害を受けたことを告げると、精神病院へ行けとか病院を頼るなとか保護者と一緒に来いと言われて、相手にされなかった。

同(二)の(7)の事実は認める。赤松医師は、治療の害から逃れるため、軽作業が可能との診断書を作成したものである。次長喜多正は、四ないし六人で原告を囲んで原告に軽作業が可能であることを強いた。また原告の担当は集配であるところ、負傷が治ゆしていないため、その任に耐えることができないものと判断して出勤しなかった。原告は何回も出勤したが、配置転換の辞令が出されなかったため、他の作業に従事することができなかった。

同(二)の(8)及び(9)の事実は認める。

同(二)の(10)の事実中、意見書発行の部分は不知、その余の部分は認める。

同(二)の(11)ないし(25)の事実は不知。

同(二)の(26)の事実中、原告が免職処分に付されたことは認めるが、その余の事実は不知。

3  同3は争う。

4  原告は、現在でもなお、重い物を持ったり腰に負担をかけると、そのあとで痛くなり、また、耳がつまったような感じ、頭痛、目がかすむ、その他の不快感を訴えることがあるので、サウナ風呂、バイブロバス(気泡入浴)、マッサージ器、赤外線コタツを利用して治療を継続している。

第三証拠(略)

理由

一  請求の原因1及び2の事実については当事者間に争いがない。

そして、成立に争いのない(証拠略)によれば、被告は、原告が昭和五四年六月一五日から昭和五四年九月一一日に至るまで、長期間にわたり勤務を欠いたものとし、右は国家公務員としての適格性を欠くとして、国家公務員法七八条三項、人事院規則一一―四によって、原告を本件免職処分にしたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

二  そこで、本件免職処分の効力について判断する。

1  原告は、昭和三六年八月一〇日、被告の臨時補充員を命ぜられ、御影郵便局(同三九年四月二〇日、局名改称により東灘郵便局となる。)郵便課(外務)勤務となり、同三七年六月三〇日、事務員を命ぜられ、昭和三八年七月一〇日、同局集配課勤務となり、昭和四一年一〇月一日、郵政事務官に任命され、昭和四七年三月一日、同課主任(昭和四九年七月一七日、郵便局組織規程改正により第三集配課主任となる。)を命ぜられ、引続き同局に勤務していたこと、以上の事実については当事者間に争いがない。

2  次に、原告が、昭和四九年七月一五日、自動二輪車に乗って、その担当する郵便外務事務に従事中、神戸市東灘区甲南町二丁目八番八号先の道路上において、普通貨物自動車に追突され、頸部、腰部打撲捻挫傷の傷害を受け、同年八月一四日、右事故による傷害は、国家公務員災害補償法による公務上の災害と認定されたこと、原告は、右事故による傷害により、昭和四九年七月一六日から昭和五四年六月一二日までの約四年一一月に亘り、被告主張の通り、軽作業従事後、通院加療、休業加療をくり返していたこと、以上の事実について当事者間に争いがない。

3  次に、被告の主張(2)ないし(10)の事実(但し、(10)の事実中意見書の点は除く)は当事者間に争いがなく、右事実に原本の存在及び成立に争いのない(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  原告は、前記交通事故による受傷後、主に神戸市内の赤松外科、整形外科、眼科医院で治療を受けていたところ、右赤松医院の当初の診断では、頸部、腰部に倦怠感があるが、右交通事故によって原告の被った頸部、腰部打撲捻挫傷は、約一、二週間の加療で治療すると見込まれていたし(<証拠略>)、また、原告の運転していた自動二輪車は、右事故により、ウィンカー等に金三〇五円の修理費を要する程度の損傷を受けたに過ぎず(右自動二輪車の損傷の程度については当事者間に争いがない。)、右事故による人的物的被害は、比較的軽微であったこと、

(二)  しかるに、原告は、前述の通り、右事故後四年以上の長期間に亘って右傷害の治療を受けていたところ、その間において、原告の診療に当っていた赤松医院の赤松秀夫医師は、原告の症状について、昭和五三年五月三〇日、これ以上の治療の必要はないとの意見を持ったが、原告の要望等をいれて、同年六月一日、なお一か月の通院治療を要するが、軽作業に従事することは差支えないとの診断をしたこと(<証拠略>)、

(三)  また、右赤松医師から原告の診断を依頼された大阪医科大学附属病院の小野村敏信医師は、原告の症状につき、昭和五三年五月二六日付をもって、「エックス線像及び神経学的に特に異常は認めず、愁訴に対しては、意識上の事もあり、すすんで運動を行ない、仕事にも出ることによって、愁訴はなくなる。」旨の所見を述べており(<証拠略>)、同じく大阪大学医学部附属病院の荻野洋医師は、原告の症状につき、同年五月三〇日付をもって、「今後特別に治療することなく、腰部の可動域訓練を行なう程度である。」旨の所見を述べており(<証拠略>)、同じく関西労災病院の折原正美医師も、原告の症状につき、同年五月二三日付をもって、「現在他覚的所見はなく、社会復帰可能の状態」としていること(<証拠略>)、

(四)  さらに、原告は、前記赤松医師の紹介で、昭和五三年七月五日から同年九月五日まで神戸市内の近藤病院でリハビリテーションを中心にした治療を受け、その間、脳波、眼底カメラ、心電図、聴力検査、筋電図、レントゲン等の検査を受けたが、いずれも異常はなく、同病院の近藤直医師の昭和五三年九月及び昭和五四年六月の所見では、原告の症状は固定し、就労は可能であって、休業加療の必要はないとしていること(<証拠略>)、そして、神戸逓信病院の山岸洋医師の昭和五三年九月一九日の所見でも、原告の症状は、レントゲン写真上及び他覚的には特に異常を認めず、その症状は固定しているとしていること(<証拠略>)、

(五)  以上のような各医師の診断等から、昭和五三年九月頃には、原告の前記交通事故による傷害の症状は固定し、出勤は可能であったものというべきであるところ、原告は、昭和五三年九月頃以降は、その勤務先の東灘郵便局に何の連絡もしないまま出勤をしなくなったので、その後同局の庶務課長やその他の上司等が、屡々、文書或いはその他の方法により、原告に対し出勤するよう促がしたり命令をし、出勤できないならば医師の診断書を提出するよう求めたが、原告は、これに応ぜず、診断書を提出する等の正規の手続をとらないまま、東灘郵便局に出勤せず、その勤務につかなかったこと、

(六)  次に、近畿郵政局長は、その後、前記医師の診断所見等を考慮し、昭和五四年六月二日付をもって、原告の公務災害について、症状が固定し、出勤が可能であるとして、治癒の認定をしたので、東灘郵便局長は、同月一三日、右近畿郵政局長の治癒認定書(<証拠略>)を原告に送付すると共に、原告に対し、出勤命令到達の翌日から出勤するよう命令し、出勤しない場合は欠勤として処理する旨通知し(<証拠略>)、右命令等は、翌一四日原告に到達したこと、

以上の事実が認められる。

してみれば、前記交通事故による原告の傷害は、昭和五三年九月頃には、その症状は固定し、それ以降は、原告において少なくとも出勤して軽作業に就くことは可能であったというべきであるから、前記の如く近畿郵政局長が昭和五四年六月二日付をもって、原告の公務災害による症状は固定し、出勤が可能であると認定し、ついで東灘郵便局長が同月一三日付をもって原告に対し出勤を命令したことはいずれも適法かつ正当であったものというべきであって、以上の認定に反する原本の存在及び成立に争いのない(証拠略)はいずれもたやすく信用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

4  次に、(証拠略)によれば、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  原告は、前述の如く東灘郵便局長から出勤命令を受けとった後も、出勤をしなかったので、右郵便局長は、昭和五四年六月一八日から二一日まで毎日、原告に対し、電報で出勤するよう命令をしたこと、

(二)  これに対し、原告は、同月二〇日、東灘郵便局長に対し、「首が重苦しい、頭が痛い。」等の内容証明郵便(<証拠略>)を送ったので、同郵便局長は、同月二六日、再度、書面(<証拠略>)で、原告に対し、「公務災害については治癒の認定がなされているので出勤するよう。」命ずると共に、「療養をしなければならない状態であれば、医師の診断書を提出して、所定の手続をとるよう。」命じ、右同局庶務課長も、同年七月二〇日、これと同趣旨の文書(<証拠略>)を原告に送付したが、原告は、これにも応ぜず、「体が悪くて出勤できない。」旨記載した内容証明(<証拠略>)を同局庶務会計課長宛に送ったのみで、医師の診断書を提出せず、出勤もしなかったこと、

(三)  そこで、その後同年七月二七日及び同年八月二三日の両日、東灘郵便局の高木課長や能塒課長代理らが、原告方を訪れ、原告に対し、出勤するよう促し、出勤できないならば、医師の診断書を提出して所定の病気休暇の申請手続を行なうよう指示したこと、

(四)  しかし、原告は、これにも応ぜず、結局、前記東灘郵便局長の昭和五四年六月一三日付出勤命令を受けとった日の翌日の同月一五日から、医師の診断書を提出するなど所定の病気休暇手続をとることなく、欠勤を続けたため、被告は、前記の通り、昭和五四年九月一一日、原告の右昭和五四年六月一五日以降の欠勤は、国家公務員としての適格を欠くとして、国家公務員法七八条三号人事院規則一一―四に基づき、原告を本件免職処分にしたこと、

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

5  しかして、以上3、4に認定した事実からすれば、原告が昭和四九年七月一五日に交通事故により受傷した傷害は、遅くとも昭和五三年九月頃にはその症状は固定し、出勤は可能であったというべきところ、原告は、昭和五四年六月二日に、近畿郵政局長から前記公務上の災害の治癒の認定を受け、同年六月一四日、東灘郵便局長から出勤命令を受けたのであるから、翌一五日以降右郵便局に出勤して就労するか、或いは病気のため出勤できなければ医師の診断書を提出するなど正規の病気休暇手続をとって休むべきであったのに、これを怠り、同年六月一五日以降本件免職処分に付された同年九月一一日まで八九日間の長期にわたり、医師の診断書を提出する等所定の手続をとることなく、みだりに勤務を欠いたものであって、右の如く欠勤した原告は、国家公務員である郵政省職員としての必要な適格性を欠くものというべきであるから、原告には、国家公務員法七八条三号、人事院規則一一―四の七条三項に該当する事由がある。

なお、被告が原告を本件免職処分に付するについて、その裁量の範囲を逸脱したことを認めるべき証拠はなく、かえって、前記本件免職処分に至るまでの経緯に徴すれば、本件免職処分に付するのはやむを得なかったことが認められる。

従って、被告が原告を、国家公務員法七八条三号、人事院規則一一―四により免職処分に付したことは、適法かつ正当なものということができる。

6  もっとも原告は、未だ公務災害による負傷が治ゆしておらず、重い物を持ったり腰に負担をかけると、腰痛を生じ、耳がつまったような感じ、頭痛、目のかすみ、その他の不快感を訴えることがあって、就労に耐えることができない旨主張し、原告本人尋問の結果、前掲(証拠略)中に、右原告の主張にそう部分が存するが、これらは、前記3の冒頭に掲記の各証拠に照し措信できず、その他にそれを認めるに足りる証拠はなく、かえって、前記3の冒頭に掲記の各証拠によれば、原告の負傷は、多少の後遺症の疑を存して症状が固定、即ち治ゆしたと認めるのが相当である。のみならず、仮に、原告が、その主張の如く、交通事故による傷害の後遺症のため、出勤して就労することが不可能であったならば、遅滞なくその旨の医師の診断書を提出し、所定の病気休暇の申請手続をした上で勤務を休むべきであったのに、前述の通り、原告は、右手続をとることなく、欠勤を続けていたものであるから、この点だけでも、他に特段の事情の認められない本件では、原告は、国家公務員としての適格性に欠けるものというべきである。

また、原告は、東灘郵便局に対して原告の身体状況に応じた部署への配置転換を要求したのに被告に無視された旨主張するが、成立に争いのない(証拠略)によれば、原告は、東灘郵便局に対し、昭和五二年二月頃ないし同五四年二月頃までの間に受付ないしは警備業務への配転を要求したが、同局は、原告が本訴で主張しているような症状を訴えていて、その身体状況に照らし右業務に必ずしも適しないこと及び、原告が給与の下ることを慮ったので、原告の希望する部署に配転しなかったことが認められるし、また、右原告の主張事実は、前記昭和五四年六月一五日以降の原告の欠勤を何ら正当化するものではない。のみならず、右(証拠略)によれば、東灘郵便局では再三にわたり、原告に対し希望する作業を打診したのにもかかわらず、原告はそれに対し具体的な希望を申し出ず、同局が命じた年次有給休暇請求簿等の整理の軽作業に対してもその勤務態度が必ずしもよくなかったことが認められる。

したがって、右原告の各主張は、いずれも理由がない。

三  よって、原告が本件免職処分の取消を求める本訴請求は、その余の点を検討するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 後藤勇 裁判官 草深重明 裁判官 小泉博嗣)

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